麻田浩 Asada Hiroshi

父 麻田 浩 −ある画家の死−

  • 1.最後の言葉
  • 2.画家の死
  • 3.母・美禰
ASADA Hiroshi - my father
母・美禰

 最後に父も遺書の最後に書いている母・美禰のことについて少し記しておきたい。母は十代の頃は画家になることを志した人物である。芸大に入ることを望んだが親の強い反対によって断念した。時代もあり、とにかく結婚を、というプレッシャーが相当あったようだが、京都大学卒業後はテキスタイルの職についたりなどしていた。そんな時に父がアルバイトで講師をしていたデザイン専門学校で生徒として父に出会う。そして父の絵の才能に惚れこみ、結婚をする。当時もう中年の域に達しながら様々な学校でアルバイト講師をし生計を立てている身分であった父との結婚は当然のように親の猛反対を受けたが母の意志は強かった。

 二人は絵だけでなく哲学者・森有正の話など色々と趣味が合ったようである。結婚の翌年には、フランスに夫婦で渡るわけであるが、それは母がフランス語に堪能であったことも強く働いた。また父の制作においても、父は母に意見を訊くことが多かった。私も父の姉・佐竹妙子から「絵がわかる人が妻で本当に良かった」と父が言っていたことを聞いている。母の審美眼に強い信頼を寄せていたし、事実父の最大の理解者であった。家族での会話も自然と絵や芸術のあり方に及び、絵を中心に動いている、そういう家族であった。

 この文章で描いた父は家族から見た姿であるゆえ、父の一側面を書いたものに過ぎない。それでも麻田の絵を考える時の一助になれば幸いである。私が一人の作家としての麻田浩を見る時、その最大の面白さは、日本画家の家に育ったという環境で培われた感性と、深く関心を寄せ骨肉化した西洋古典絵画、その二つが両立した点にあるが、そういった画論は私のような門外漢ではなく専門家に委ねたい。いわゆる「美術史」においては異端と言える作家を取り上げ、回顧展を開いていただいた京都国立近代美術館の岩城見一館長をはじめとする皆様に感謝の意を申し上げることで拙文を終わりたい。

京都国立近代美術館ニュース 「視る」 431号
2007年7−8月号

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