

昭和6年、私は日本画家を父に京都市で生まれました。
衣笠山山麓から南に向かってなだらかにつながる龍安寺界隈の傾斜地に自宅はありました。
家の前から田畑が続き、雑木林が続き、茶畑があり、植木畑があり、山の周りには清らかな5つの小さな池があり、そこには小さな魚たちが住んでいました。
龍安寺界隈にはお寺と30軒の家がありました。堂本印象先生、徳岡神泉先生、福田平八郎先生、山口華楊先生。せいぜい1キロ四方の中に、大正・昭和を代表する日本画家の大家がそこに居を構えていたということは、極めて興味のあることです。
そこは都心に近く、自然があふれた場所でした。日本画家にとっても、洋画家にとっても優れた写生地だったのです。
自然と人間が上手く交流している場所で、遊びを通じて自然を知り、その楽しさ・大切さを享受できたことは非常に有り難く、後年、画家になった時にも恩恵に俗したのでした。
運命的なもので、私の油絵は油絵の印象は極めて少なく、むしろ日本画のような印象を人に与えます。