麻田浩 Asada Hiroshi

回顧

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5.追悼 那智滝

梅原
那智滝を描いたのはいつですか。これまでの作品と違いますね。

麻田
六年前です。兄の麻田鷹司が亡くなって、その追悼です。子供の時はよく殴り合いをしましたけれど、20歳になるとそんなことはなくて、会うと「何を描きたい」「どこどこへ行ってこう描けた」「箔の上に白を塗るとおそろしい効果が出てくる」とか兄が東京にいましたから、兄貴の所へ行くと絵の話しばかりしていました。

梅原
滝というものに、また特に那智滝に興味があったのですか。

麻田
滝は好きです。少年の頃山登りをしていました。戦前「京都北山と丹波高原」という本を書いた人がいて、その人の腰巾着のように行かれる所へついて行き、滝登りを何度もしました。滝って不思議ですね。パッと視界が広げて、滝がドンと現れます。こんなに凄いものがあるっていうのはこれは凄いと、一文字みたいな那智滝はまた凄巨ですよね。

梅原
あなたの作風の中で那智滝は異質だと思いましたね。ひょっとしたら、新しい作品の最初の作品になるのかと思いました。そこには生命の存在の根源、存在の恐れとか不安とか残酷さを背負って生きているような絵とは違ったもう一つの違ったものがあるように、あの絵を見て私も思いました。あなたは、桃山時代の絵画に大変感動されているのですね。

麻田
伝、巨勢金岡の那智滝図(根津美術館)は日本絵画NO.1だと思っています。

梅原
自然を描かれているのですか。

麻田
はい。これからは、体力をつけて渓谷や川辺の草・木などスケッチしたいと思います。
梅原
最近、そういうものの美しさを発見されているのですね。

麻田
少年時代の山登りした記憶が、帰ってきたのです。

梅原
那智滝から帰ってきたのですね。

麻田
わらじを履いて、水しぶきを全身あびて、滝をながめていると山の轟きが聞こえて来るのですね。それは少年の心にいつまでも残ります。

梅原
那智滝にはたくさん滝がありますよ。2の滝、3の滝となかなかいいです。それぞれ風情の違った素晴らしい那智48滝がありますよね。特に2の滝、3の滝は私も美しいものだと思います。

そういうものをお兄さんが描かれて、お兄さんの追悼の意味を込めて描いたのだろうと思います。お兄さんの絵が画面のすみにちょっと描かれていて面白かったですね。もう一つ別の世界が生まれて来るという気がします。それは今おっしゃった巨勢金岡のものでしょうね。

麻田
巨勢金岡は、根津美術館にある滝図、これも伝なわけですが、真筆は今のところ見つかっていません。不思議な存在、幻の画家ですね。それがかえって想像力をくすぐるのです。それと知恩院の早来迎は凄いですね。ヨーロッパの人が見たら腰を抜かすのではないでしょうか。

梅原
そういうものに強い関心を覚えたのはいつ頃からですか。

麻田
6年前くらいからでしょうか。パリが消えてからですね。

梅原
日本へ帰ってきてからですね。

麻田
はい。私は一カ所に7年以上もいたことがない、すぐに辞めてしまう。それがいけないのですが。今は、車に乗って自然の片隅のなにげない風景を見つけたり、山小屋で雪解けの時期の自然を観察したり、そういうことをしたいと思います。先のことはわかりません。

梅原
私も学問、芸術の仕事をしているけれど、初めからこういう学間をやろうと思っていたわけではないが、むしろやっている途中に新しいものが向うから現れてきた。そういう新しいものを私は、迷いなく迎えた。それで法隆寺論も人麻呂論も、「ヤマトタケル」や「オグリ」のスーパー歌舞伎も生まれてきたのです。

麻田
たいしたことですね。

梅原
それは学者としては損をするに決まっているのです。わかっているのですが、向こうから現れてくるものは私は迎えた。そして別の仕事ができたのですけどね。後から見ると必然に見えるけれど偶然に任せ、仕事をしてきた。
今、あなたには何かが現れてくるんですよ。滝から別の世界がきっと生まれてくる気がします。どういう絵になるのか興味深々です。
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