麻田浩 Asada Hiroshi

回顧

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4.突然見えて来る楽しさ

梅原
あなたの場合は、今の銅版画と普通の油絵をどういうふうに分けて制作しているのですか。

麻田
やはりヨーロッパにいるときは、分けてやっていました。その時は体力がありました。体力がなくなって人からは、病気好きと言われるけれども、決してそうではありませんが、体力がなくって…。また、使う神経も違います。

梅原
どう違うのですか。

麻田
銅版画は制作に入るにあたりしっかりした下画をつくる即ち計画性が必要です。多くの手仕事の工程の後、刷って始めて、完成された作品をそこに見るわけです。修正したり、試刷りもしますから、大きなエネルギーが必要です。だから現在、刷り機は年賀状を一回刷っただけで置いてあります。
一方、油絵の制作では、私の場合とりわけ偶然性を大切にしています。予期せぬ方向に進むのはしょっちゅうです。その制作課程中、頭も眼も手も働いていて、仕上げる意識は希薄で、生まれて来るのを待つ気持ちです。

梅原
ヨーロッパの時は両方やっていた。しかし日本に来て一時にやらずに周期を変えて制作しているわけですか。

麻田
そうです。版画にとりかかる前に油絵の下塗りをしておき、乾くのを待つ間を版画制作に当てるということはありましたが、絵を描く時には絵を描いていて、同時に版画の版をいじるということはなかったです。

梅原
あなたの絵はどうですか。最初にパッと画面が浮かぶのでしょうか。イマジネーションですか。

麻田
そういう場合もいろいろあります。白いキャンンバスを張る、出来れば自分で張るといいですね、それだけ愛情が沸いてきますから。置いておきますと、真っ白ですよね。でも何かを物語っているんですよね。ちょっと絵の具で汚してやり、眺めるんです。
例えばテレビは真っ白の状態ですが、電源を入れるとプーっと映りますよね。入力されているわけですね。私は、未知のイメージが現われて来る無意識の場として絵具でしみのつけられたキャンバスを大切なものと思っています。今でも目をつぶってみればありますでしょう、暗黒に光る形です。これを見ていると面白いのです。
少年時代、人とあまり遊ばずに道の端に座って木の表面の模様などを眺めているとそれから色々と想像力が働くのでしょう、イメージが喚起される、このような一人遊びが非常に好きでした。生来の私の癖です。

梅原
そうしてずっとみていると画面に絵が出て来るのですか。

麻田
そうなんです。ずるい方法です。レオナルド・ダ・ビンチも手稿に、構図決定をするのに絵具にスポンジをひたしたもので、画面をよごして、そこからイメージを喚起したと記しているそうですね。

梅原
それで筆を執るのですね。私の経験だと、構想は最初の構想に従いながら、書いているうちに一つひとつがはっきり形をとってくる。そういう時は成功ですね。うれしいですよね。人麻呂が海の底で死んだ。そういうことが、最初パッと直観された。そして筆をとる。だんだんと人麻呂の姿が具体的に見えてくるのです。絵もそういうものですかね。

麻田
まさにそのものです。シュールレアリズムは、フロイドやユングなどの深層心理学から觸発された、理論的な絵画運動ですから、当然私も興味を持ち、デペイズマン、モンタージユ、コラージュなどの方法を明らかにしたことに感心しますが、その理論がそのままの形で悪く言えば、説明的に出て来ていると思います。
私は私なりに自分の内でこなれた自然な形で、やりたいと思っているのです。私の絵には同じものがしばしばモチーフとして登場するのですがそれらが、描かれる事で空間がきまって来ます。細部にまた木の下の小さな所のすき間に風景が描きたくなったり、その偶然とも思える発見が私の楽しみなのです。アトリエには長椅子が置いてあって、寝転んで見ているのです。何もしない日があるのです。しかし突然そこに見えて来て。

梅原
それは楽しいでしょう。

麻田
そんな時は、しんどいのも忘れて描いていますね。

梅原
後から疲れるのであって、やっているときは疲れませんよ。
日本に帰ってから絵は変わりましたか。

麻田
5年間、ヨーロッパの雰囲気でした。まず、今の京都の街に出ない。体力がないものですから家に閉じこめられていましたね。ヨーロッパでの蓄積、感覚がまだ生きていまして、夜起きて便所に行くときに「あっ日本に帰ってきているんだな。パリで見ていた月とは違うんだな。状況が違うんだな」と、5年間パリの感覚がありましたが、5年後にすっと消えていきましたね。
その5年の間の終わりの頃に私は500号の大作を描きました。その当時京都には500号を描く人がいなくて500号の木枠がなくて、東京からとりよせてもらって、それに描くことが出来ました。この絵を描き終えて何かホッとしました。一つの時期が終わり、又始まったとも言えますが。
今は又困っている問題があるのです。日本の自然の独特の見事さと日本人の持っている自然感というもの、先人ののこした、このすばらしい遺産、特に桃山期の絵をみると凄いなと思います。装飾的でありながらしかし装飾を越えています。
あれだけの物が出来るのだから、それだけの土壌が日本にあるんだから、と思うと、これまでヨーロッパの伝統をどれだけ自分の血肉とできるかが、ましな油絵が描けるための鍵だと考え、ヨーロッパで暮らすということも含めて頑張ってきて、少しはそういう態度が身についたようにも感じ、持病ができてもしまったので、この辺で一寸楽に描きたいというのが本音のところへ今度は日本の伝統という重い課題がのしかかってきてしまうわけです。昨年の秋から今年にかけて絵を描くのを休んでいます。待っているのです。
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